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8月のトピックは「なぜ海外移住をしたの?」です!
海外移住をした理由は、人それぞれ。深く探ってみると、読者の皆さんとの共通点も見えくるかもしれません。
今回は当時の状況を振り返って、じっくりとその理由について語ってもらいます。
海外への憧れと日本での行き詰まり
いつか海外で暮らしてみたい。そう思いながらなかなか一歩が踏み出せない。これが7年前の私でした。
物心がついたときから、漠然とした「海外」への憧れがありました。初めて日本以外で長く暮らしたのは、大学生のときの3か月のサマースクールです。アメリカ東海岸の大学に留学生として通いました。
アメリカの他の州から来た学生や、各国からの留学生(カナダ、イギリス、ネパール、韓国、インドなど)に出会い、授業を受け、スポーツをして、近隣都市へ遠出をするなどの経験を通じてアメリカ生活を満喫しました。
もちろん、英語が通じず無視されたことや、課題量が多さなど大変なことも。それでも、様々な英語を話す人に出会えたのはとても良い経験でした。
いつかもっと長く海外で暮らしてみたいと思いながら、日本で就職。プロジェクト運営や採用などの業務に7年ほど従事し、海外出張の機会があれば喜んで手をあげて経験を積みました。
日本での仕事は、やりがいがありつつも壁も感じていました。一つ目が、周囲の人との仕事や人生に対する考え方の違い。
20代、30代のうちに存分に経験を積みたいという考えになかなか理解が得られず、仕事とプライベートの調整に疲弊していました。
二つ目は、海外での業務に携わるには英語力も経験も足りないこと。さらに未経験業種へ転職をするには、年齢が行き過ぎていると言われることもあり、途方にくれていました。
「どこなら挑戦が許されるのだろう?」
当時の私は、素質や能力ではなく、経験や年齢で挑戦することが制限されることに悔しい思いを抱きました。
それなら、「挑戦することに寛容な場所は?」そう考えたときに、海外という選択肢が浮かんできました。
大学時代に海外で出会った、「昼間は働き、夜は学生」「子育てがひと段落した後に学び直す人」たちのいきいきした姿を思い出したのです。
そういえば、海外の人は「ちょっと違う国で働くのもいいなって思った」という軽い気持ちでやりたいことに挑戦する人が多かったな。そんなことも思い出しました。
とはいえ、すぐには自分の気持ちに正直になれず…。
「英語ができないから」
「家族や身近な人に賛成してもらえないから」
「経験がないから」
という言い訳をなかなか消すことができず、何度も自問自答をしました。
そんな時、人生を変えるには「付き合う人を変える、時間配分を変える、環境を変える」という言葉を耳に。
自分の望む生活をデザインしてみようと思うようになり、まずは行動!と、アジアでの仕事を探し始めました。
思い切り仕事をしたい!夢に向けたステップを
アジアを選んだ理由は、活気あふれる場所で働きたかったから。インドは一度も行ったことのない未知の国。でも、これまでの私の仕事は新規に作られたポジションということもあり、混沌としているインドでの仕事環境が私にはあっているかも、と思いました。
私にとって、海外で働く経験は「思いっきり仕事ができる」環境で、かつ「自分の中での劣等感」を解消、「キャリア(仕事経験)の中で不足している部分を補い」「自分のやりたいことをやるための経験を積める絶好のチャンス」と考えていました。
そのため英語力、営業の経験(人にサービスを提供する・理解、認知度をあげる)、異文化の中で働く経験を積めることを最優先に考え、転職活動を開始。
最終的に日系老舗企業の法人営業(顧客関係構築)のポジションで内定をいただくことができました。
「わたし」を軸に人生を生き生きと歩む人たち
正直にいうと知り合いもいない環境でゼロからの挑戦は、当初はとても辛かったです。本当に思い切って飛び込みすぎたかと心配な気持ちでいっぱいでした。
1か月、3か月、半年…。インドで生き延びた日数を数え、「また1か月生き延びた」と自分自身を鼓舞することも。
一方で、事務手続きの進捗、仕事の勉強…とやることは山のようにあるのに、何もできなかったと思う日々も多かったです。
遅すぎる進みにイライラしたり、やるせなさを感じたり。本当に最初の3か月から半年は大変でした。
でも、インド人同僚に協力を仰ぎ、業界や顧客について教えてもらうようになってから自分自身の業務を理解するスピードも早くなりました。
はじめは「点」でしかなかった知識や情報が、「線」になり、さらに「面」になるという感覚を感じることができたときはうれしかったです。
現状や結果を記録に残して、「できていない」ことに焦点をあてて焦らないこと。同僚との「報・連・相」をきちんとすること、お礼や感謝を伝える、喜怒哀楽を適宜あらわす、現地の食事や祝い事を一緒に楽しむ、などを心がけたことが、良い関係につながったと思います。
いったんインドの生活や仕事にも慣れてくると、「海外(インド)だから」ということに関係なく、今までの生活や経験との共通点も見いだすことができるようになりました。
これからも誰かの力になれるように生きていきたいし、日本とインドと異なる世界をつなぐ架け橋のような存在としてチームに貢献していきたいと思うようになりました。
今までとまったく違う環境に飛び込んだので、多種多様な価値観にぶつかることも増え、自分のマインドがリセットされるような感覚に陥ることも多かったです。
その中でも私にとっての大きな変化は、「私がどう判断するのか?」に基づいて物事を決める機会が増えたこと。
日本にいたときは、周囲の期待を汲み取って動くことが多く、本当に自分がやりたいことを後まわしにしたり、自分の気持ちを言えなかったりすることが多かったと思います。
しかし海外での暮らしは、常に自分と向き合わなければいけません。これは、自分の思考を再認識するリハビリでもあるなと思いました。
また、デリーにきてからは、仕事も家庭もどちらも同じくらい大事に大切にと考える人に多く出会いました(インド人の場合は家庭に比重を若干おいている人が多いですが)。
家族や友人、周囲の人と協力しながら生きている人々や起業するなど力強くパワフルな日本人にも出会うことができました。
インドで出会った友人の一人は、インド生活を「ビビッドでカラフル」と表現します。お手本にしたいなと思えるような、人生をいきいきと歩む女性たちにインドで出会えたことは、私の宝物です。
7年前に思い切って一歩を踏み出したのは、間違いでなかったなと心から思います。
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