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8月のトピックは「なぜ海外移住をしたの?」です!
海外移住をした理由は、人それぞれ。深く探ってみると、読者の皆さんとの共通点も見えてくるかもしれません。
今回は当時の状況を振り返って、じっくりとその理由について語ってもらいます。
はじめに
Goedemiddag! オランダよりRikoです。
「なぜ海外へ?」。この質問は、今までに数えられないほど受けてきましたが、実は意外と答えにくいというのが本音です。
正直なところ、とても一言では表せませんが、シンプルで深いこの質問への回答として、私がオランダ移住の決意に至るこれまでの過程をご紹介します。
「英語を学ぶ面白さに出会う」
「そもそものきっかけ」を考えてみると、高校生時代の英語の先生にとても大きな影響を受けたのだろうと思います。
アメリカで修行を積み、英語の発音の際には口と顔の筋肉を駆使してダイナミックに話す癖のある先生に出会い、中学英語に比べてより論理的な文法の習得や、ネイティブの発音に触れる中で、この先生の授業を受けるたびにもっともっと学びたい、という気持ちが高まりました。
当時の私は、小学校時代から少しずつ英語を習い始めていたので、高校時点の英語レベルは英検準2級程度はあったと思います。ただ「何かが足りない」と感じていました。
そう、それは「発音」
誰かと会話する機会がなかったため、試験英語はできるものの、コミュニケーションが全く取れませんでした。
そんなこんなで大学に入り、さらにレベルアップした授業と、自分よりもさらに英語が得意な新しい友達が待っていました。毎日刺激を受け充実した時間を過ごしていましたが、ふつふつと湧き上がる不安が…。
「環境を変えて、もっと自分を追い込まないと、成長しないのではないか」
英語を学ぶ面白さに気付くと同時に、このまま生ぬるい環境に身を置いていてはいけないと思い始めたことで、行動することを決意します。
広がる出会いの幅、海外に出る意味
大学では国際政治学を専攻し、1年生の時には英国名門のオックスフォード大学に2週間留学するチャンスがありました。
そこで初めて触れた生のイギリス英語。自分のリスニング力、スピーキング力のなさを痛感し、焦りが成長につながりました。
また、大学のゼミやサークルでは、東南アジアを中心とした非政府組織(NGO)の活動に参加。2年次には歴史や政治を学ぶ中で、カンボジアに2週間ボランティアに行くチャンスも掴みました。
ここでは自分の視野が大きく広がる経験をします。
日本語を学び将来日本に出て働くことを夢見る現地の学生や、貧困の中で学校に通うために必死で働いている学生に出会いました。同世代のカンボジアの若者の実情を知り、自分の人生と深く向き合うきっかけとなりました。
彼らとの交流で、世界では驚くようなバックグランドを持った人たちがいることを知り、お互いの人生や経験などを共有することの面白さを味わいました。
また、この大学2年次には、本格的に海外行きを検討し始めました。
大学を通じて短期語学留学や交換留学などもありましたが、学校のプログラムを利用しないと決心します。
「自分で留学をプランニングしよう!」
こう思い立ち、自由度の高いワーキングホリデーをオーストラリアですることに決めました。すぐに自力でIELTSの勉強に加え、エージェントや語学学校探しなどを一気に計画しました。
人生一大決心、シドニーでのワーホリ
オーストラリアでは、シドニーで3ヶ月間語学学校に通い、その後はホテルで1カ月間のインターンをしました。
その後の半年間は、このホテルでウェイトレスとして勤務し、自分の人生で最高に楽しかった時を過ごしました。当時の友人や同僚とは今でもSNSで繫がっており、よく懐かしくて思い出します。
もちろん、楽しいことばかりではなく、振り返れば苦労した経験の方が多かったのも本音です。
当時1年間の休学届けを大学に提出し、シドニーに渡ったのはいいものの、半年が経とうとした際には、ホームシックになってしまいました。
ルームメイトと仲良くなれず、勤務先でも英語が聞き取れずメニューを間違えてしまうなど、言葉の壁や文化の違いに直面し、少し弱気になっていたのかもしれません。
私は普段、両親に泣き言を漏らすタイプではありませんが、この時ばかりは弱音を吐きました。ただ、初めて親元や母国を離れ、自分と真剣に向き合い成長するための試練だったのかもしれません。
「この経験なくして、今の自分はいない」
自分の人生を形作った貴重な1年間だったことは、間違いありません。
ちなみに、休学届はいったん半年に短縮しましたが、その後英語力も伸び生活が安定してきたこともあり、当初の予定通りの1年間に戻しています。
自分の価値観、バックパッカー経験で深堀り
大学4年生の時には、いつかやりたかったバックパッカー旅行を決行しました。
歴史的建造物を訪れ、各国の文化や宗教に触れました。改めて「世界は広いんだな」と痛感し、大きな刺激を得ました。
この旅では、語学留学での経験から英語に自信もあり、ホステルやパーティーで出会った旅行者や現地の人と交流を深めることができたため、自分の成長に手ごたえを感じました。
「自分のキャリアは将来どんなものにしたいのか」
この経験を経て、次のステップを意識し始めます。
一人旅を終え日本に戻ると、無事大学を卒業しました。
その中で、まずは新入社員の教育がしっかりしている日本で就職をしようと考え、大手銀行から内定をゲット。
新入社員では珍しい外国為替を扱う部署に配属が決まり、海外駐在を夢追いながら必死に働きました。
当時の私は26歳。コロナの流行が始まり、日本から海外に出られない期間を悶々と過ごしていました。
「この先いつコロナが終わるのか」
「もう一度海外へ出れる時は来るのか」
「このまま海外駐在のチャンスは訪れるのか」。
「30歳になるまでには、海外で働く!」という自分のキャリアプラン…。
「手遅れになるかもしれない」と危機感が強まり、GJJに出会ったのもこの頃。海外就職のサポートを受け始めました。
しかし、コロナ禍で案件自体も少なく、1年が経過。間延びした日々を過ごしていたある日、英国ベースの人材エージェントから「外国為替のポジションがある」との一報が!
すぐに面接に進み、あっという間にオファーを受けました。この時の仕事が決まった喜びと、本当にこれからオランダで働くのかという高揚感は今でも忘れられません。
「人生一度きり、何でも挑戦する」
もちろん、海外に出ることは特別なことではありません。
しかし、私の場合は、自分の中でキャリアだけでな「自分の人生を彩り豊かなものにしたい」という気持ちが長年ありました。
海外に住んで初めて日本の良さに気付いたり、日本人としての誇りも持つことができたことは、日本に住み続けていたら味わうことができなかったことだと思います。
これまでの経験は、全てが計画通りに進んだわけではありません。
チャンスをいかに自分のものにするか、考え立ち止まって、時には思い切った決断が自分を成長させてきたのだなと、実感します。
一度きりの人生。これからも後悔のないように、思い切って生きていきたいと思います。
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